2012年12月5日水曜日

#13 どーも

本格的な冬の到来を迎え寒さがひとしお身にしみるころとなりましたが風邪などひかれておられませんか。僕はピンピンしています、というよりビンビンです。なぜクインさんにEDに悩む孤高の男と紹介されたのか、、来年には世界の七不思議になっていることでしょう。はい。紹介遅れました、今年からベアーに加入しました関口傑丸です。1年生が日記を書くのは最後の方かと思ってたので急にまわってきた事に対する驚きは隠せません。マリオで言うマンマミーアですね。当初の計画では、上井さんの日記というか論文というかが、かわいく見えるほどの論文を書くつもりでしたが急にまわってきたので今回は誠に残念ながら、さらっと短めに書くことにしました。苦渋の選択でしたが仕方ないですね。

さてさて、あまりに書くことが無いので僕がアイスホッケーを始めてから今に至るまでを書いていこうと思います。なぜ僕はアイスホッケーという日本ではあまり見かけないスポーツに興じているのでしょうか。時を遡ること18年。僕は産まれたその瞬間思いました、そうだ、アイスホッケーをしよう。アイスホッケーの基礎となるスケートをするがべく、僕は必死に二足歩行を習得。今でも忘れません、自分の手が地面から離れるあの感覚、感無量。そこからは、寝る間も惜しんでスケートに励む毎日。そしてスケートに慣れはじめてきたころ、アイスホッケーというスポーツに打ち込むことを誓いました。まぁ単純に言うと親父がアイスホッケーをやってて、その影響で気付いたら自分もアイスホッケーをやっていました。

時は過ぎ、、
関口傑丸  8才  冬
己の肉体と技量に限界を感じ悩みに悩み抜いた結果、僕が辿り着いたさきは感謝であった。自分自身を育ててくれた競技への限りなく大きな恩、自分なりに少しでも返そうと思い立ったのが、1日1万回、感謝のサイドフェンス!!気を整え、拝み、祈り、構えて、走る。一連の動作を一回こなすのに当初は5~6秒、1万回走り終えるまでに初日は18時間以上費やした。走り終えれば倒れるように寝る。起きてはまた走りを繰り返す日々。2年が過ぎたころ異変に気付く。1万回走り終えても、日が暮れていない。中学生を迎え、完全に羽化する。感謝のサイドフェンス、1時間を切る!かわりに祈る時間がふえた。氷を下りた時、僕の足は音を置き去りにした。

中学ではバスケをやりつつアイスホッケーもやりつつという生活を送り、迎えた高校。高校ではどちらかに絞ろうと考えていて、どちらにするか悩み抜いた結果、荷物が少なく、朝が早くないバスケにしようと決断。飛んだ落し穴であった。バスケ部には朝練というものがあり、日が昇る前に起床する生活が始まった。そして意識朦朧としている間に3年の月日がたっていた。僕の高校生活はどことやらへ。

そして迎えた大学生。高校の時の教訓をいかし、ひとつのスポーツにみっちり打ち込むということはしないと誓っていた。なのでとりあえず適当にサークルを探し、とりあえずテニサーに入る事にした。しかし、テニサーだけでは物足りない事は目に見えていたので、他のサークルも探した。すると昔自分がやってたっぽいスポーツの格好をしている集団に遭遇。それがベアーであった。ちょっと話を聞きたかったので近づいてみると、半強制的にマネージャーの人にメアドを書かされた。その時初めて殺意という言葉の真意を知った。さすがに嘘です。まぁもともとやった事のあるスポーツだったので、新歓にも行ってみた。そこで、試しに一回練習を見にくれば、と言われたので純粋な僕はそうする事にした、巧妙な罠である事も知らずに。練習後のミーティングが終わり、帰るかと思ったところ、再び半強制的に入部表明をさせられる事に。そこでようやく僕ははめられた事に気が付いた、が時すでに遅し。そうして入ったこの部活、入ってみると意外にもいい人が多い事に驚いた。むしろ尊敬に値する先輩ばかりであった。入ってから約9ヶ月間、尊敬の意を示す毎日であった。しかしイマイチうまく伝わっていないようだ。こんなにも尊敬しているのに、無念でなりません。言葉の限界を感じた18の冬でありました。

という事で、アイスホッケーを初めてから今に至るまでをさらっと書いて見ましたが、嘘ばっかりになってしまいましたが、まぁ大学になって初めてアイスホッケーにマジメに打ち込んでます。ベアーには成績がオールAと偽る者もいるらしいですが、僕が紹介するのはあまりにもおこがましいと思ったので、次は代わりに最近渋谷の雀荘の大会で優勝し、麻雀が本職となりつつある野口君にお願いしたいと思います。





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